土山一晩ほうじ(リーフ)
甲賀農業協同組合
滋賀県・近江は茶の一大産地で、日本最古の茶所といわれています。
日本茶は比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄が805年に唐から茶の種を持ち帰ったことが起源とされています。日本後記には815年に伝教大師最澄と共に唐から帰国した大僧都永忠が梵釈寺(同県大津市)で、嵯峨天皇に茶を煎じて奉ったと記されており、伝教大師最澄が持ち帰った茶の種が10年を経て茶葉となり、献上されたと考えられています。
近江茶のひとつ、土山茶は1356年に土山にある常明寺の僧鈍翁が、京都の大徳寺から茶の実を持ち帰り、栽培を始めたことが起源とされています。茶の産地として、その名が広まったのは江戸時代。幕府から宿場制が敷かれ、東海道五十三次の49番目の宿場として「土山宿」が設けられたことがきっかけでした。
甲賀市と三重県亀山市の境にある鈴鹿峠は、「東は箱根、西は鈴鹿」といわれるほどにけわしい難所。土山宿は旅人の休憩場としてにぎわい、街道筋ではお茶が振る舞われ、名産品として販売されました。
そうして土山では、茶葉の栽培がさかんになり、1854年の開国から明治時代にかけてお茶が輸出されるようになると、生産量はさらに拡大していったのです。
土山の人々にとって、お茶は毎日の暮らしに欠かせないものでした。かつては庭先や垣根で茶葉を育て、家族みんなで摘みとって土間に干し、釜で炒ってつくったお茶を飲む家庭が多かったといいます。
茶摘みの季節、あちこちの茶農家で茶葉を蒸しはじめると、町中にお茶の香りが充満する。それが、春の風物詩でした。台所には、金色のアルマイトのやかんで煮出したお茶が一年中あったとか。
子どもたちにとっては、うねの間をかけっこしたり、かくれんぼをしたりと、茶畑がかっこうの遊び場です。太陽に照らされ、黄緑色の新芽がきらきらと輝く美しい茶畑は、昔も今も土山の人々を癒やす風景なのです。
現在、土山におけるお茶の栽培面積は約200ha、生産量約435t/年と県下一を誇ります。野洲川沿いのなだらかな丘陵地には茶畑が広がり、長い日照時間と清らかな水に恵まれ、寒暖差によりゆっくりと育つ土山茶は、まったりとした深い味わいが持ち味です。
しかし、土山は他の茶産地に比べて収穫時期が遅く、新茶がもてはやされる市場では不利な条件とも言えます。そのため茶農家・茶匠たちは、お茶の付加価値を高めるために研究を続けてきました。全国的に主流の「やぶきた」だけでなく「おくみどり」や「さえみどり」、「おくゆたか」といった新品種の栽培に積極的に取り組むほか、「かぶせ茶」や「深蒸し茶」、葉がもつ花のような香りを引き出す「新香味茶」の開発にも挑戦。土山では今も新しいお茶が生まれ続けています。
つくり手それぞれの個性が現れるのも、
土山一晩ほうじのおもしろさ。
各社のオンラインストアや店頭でお買いもとめください。
桜はもちろん、
夏には蛍を見に、
たくさんの人が集まります
推薦人:藤本さん(茶農家)